もうすぐ焚火
髪を結ぶ娘と
ネクタイを結ぶ息子が交差する朝
なんだみんなおおきくなたなぁ
気づけば私は
「母」でいなくてはならない時間が
だいぶ減っています
「母」でない時間、一体私は何なのか
それは「私」です
「母」も「私」ではないのかと
若林によく言われますが
それは違うんだな❤︎
そうやって
捨て身で母業を担ったことが
よかったのか、よくなかったのか
今となってもよくわからないのですが
私の不器用さと、性格と環境とタイミングにより
そうする他なかったような気はします
「母」に隠れて長い間眠った「私」は
ここ数年でむっくり起きだし
生息の場を探っています
十数年、姿を消していたわけですから
「私」の生息場所は現状ないわけで
その居場所は
多少こじ開けないことには、生息不可能
居場所のなさは
社会の中、家庭の中、自分自身の中も同様で
この事態に気付いた数年前に
「これは苦労するな」と覚悟を決めました
こんなことになるなら
私も片手間で子育てをすればよかったし
若林とハーフ&ハーフで仕事と子育てを
担えばよかった
でも私はその選択をしなかったのだから
今があって、それが現実
ここからどうするかを考える他、無意味
気づきからの数年で
我が家はだいぶ、進化しています
子育てへ割く時間や手間のうちで
私でなくちゃならないことは
この先減っていく一方ですからよいとして
家事に関して
すこーしずつ、でも確実に
生活する全メンバーに対して
リリースを進めています
生活は、みんなで運営しよう
仕事、学校、みんなが外で活動する他に
家の中に生活は必ずある
生活する術も生きる術
そして息子たちには
「家のことは女性がやること」という
刷り込みをなくしたい
娘にも
「女性は子育てと家事をしていれば
お金は稼いでもらえる」
と思っていてほしくない
家事も子育ても大事な仕事ではあるけれど
社会の中では、実際そういう見方はされていない
社会的において
家庭において
それよりむしろ
自分自身の内部において
「私」の居場所のなさ
娘を育てる中で
息子を育てるのとは違う気づきや危機感が
うまれます
ひとつひとつ向き合っていくことで
私自身がぼんやり抱えてきた違和感にも
繋がるヒントが見えてきます
ここからの子育ては
子供たちにとっては教育であり癒し
同時に
私にとってはヒントの山!学習のきっかけ!
妊娠期から絶え間なくずっと
子育てが培う、母の人間力の土壌
この学びと軌跡が豊かなのはたしか
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