村上氏訳
本の話。
日本語で書かれれた小説を読むのが好きですが
たまに変化球も欲することがあり
先日、「ティファニーで朝食を」を読みました。
第二次世界大戦最中のニューヨークが舞台。
村上春樹氏の訳ですが、英語で書かれた原文は
「ちょっとした古典」と呼ばれるほど美しい文章だそうで。
村上氏、最大限美しさを維持して訳されてるでしょうけれど
原文で読みたいなぁ、本当は。
中編の表題作に、短編が3つくっついている一冊。
いづれも、他人が決めた価値観に惑わされず自分の価値観で
生きている人たちがとても魅力的に書かれており。
でも彼らも、根っからすっきりとした人間なのではなくて
彼らなりに悩みながら、自分の価値観の方を選び取っているような
そういう描写でした。
その恐らく主題とも思える辺りからは外れるのですが
面白い記述があって
自然の物を愛してはいけない。
例えば怪我押した野生の鳥を保護しても、
愛せば愛すだけ、相手は回復してしまう。
そしていずれ自然に帰ってしまう。
しかもそれは、始めから目に見えている。
(その後には、それは素晴らしいことだけどねbyホリー
という展開になりますけど。)
ほほう、そうね。
この記述が子育てにとても似ているなと思いました。
いのち(子供)は、自然界のものであり私のものではなく。
(無論、彼ら自身のものではありますが)
子育ての成果って何だろう、と考えることがあり。
こんな退屈なことを考えるとは
子育てがひと段落ついた証拠です。
私の人生をこんなにたくさん切り売って
長年行っている一大事業でありながら
その成果についてこの頃やっと考えるのです。
彼らが健やかであるならば
彼らが何かで表彰されるならば
彼らが何かを最後まで成し遂げたならば
それは彼らの成果だと伝えたい。
私の子育ての成果だとは、言いたくない。
多分、その奉仕の成果は
「奉仕することそのもの」から得る喜びであって
(でも喜べないことだって多いですから)
その「成果の返還」を彼らに求めることはとても野暮。
だから、万が一、100年に一回、時々たまに
彼らからの返還を受けた時には、嬉しいのです。
子育ては、自然界や宇宙(生理は月と関係します)
と繋がっているので、全容を捉えるのに時間が掛かります。
ちなみにホリー(主人公)は
人や物や場所に執着をせず、「所有しない」ということにこだわり
同居していたネコに対しても、あなたはあなた、私は私
という方針を貫き、名前を付けません。
でも物語の最後、お別れのシーンで
あなたは私のものだったんだわbyホリー
どういうことかなぁ
愛すると、大事にすると、「私のもの」になっちゃうのかなぁ
「なっちゃうもんだよねー」ってことかなぁ
なちゃうのは私はイヤだなぁ
しちゃうのもイヤだし。
でも「なっちゃうもんだよー」っていうことかなぁ。
こんな読後のもやもやが趣味。
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