ほうほう
いろいろばたばたしていてこの頃。
本を読む時間が取れなくなるかもなぁ、なんて
思ってたんですが。
夜の時間は、もう読書の定時になってしまって
結局読んでるなぁ、まぁいいか。
この頃自分が選ぶ本に飽き始めていて
ノンフィクションを読んだりもしたんですが
やっぱり小説が好きだなぁと思って
んー。
その沼が、あまりに深そうなので
ずっと敬遠していたんですが
んー、いっちゃおうかなやめようかな
村上春樹の沼のほとりで(実際は図書館の書棚の前で)
悩む数回の機会を経て
結局、踏み入ってしまいました。
先日は「1Q84」を読み終えました。
BOOK3まであって、
さすがに敬遠対照だったのですが
順番的に、ここで「1Q84」というタイミングだったので
いってみました。
もー結局ずいずい読んじゃう。
なんか、あの掴めなさ
後で繋がるのかと思いきや繋がらない生殺し感
伏線がうようよしてるようで、線が薄くて極めて見えない
いいっ♪
この埋まらない空白にときめきます。
え?じゃぁあれはなんだったの?!
あれも!あれもなんだったの?!
空白だらけ、謎だらけ。
全ての伏線がきれいに回収されるなんて
そんなカタルシスとは遥か縁遠く。
その空白を、読後に頭が追って行くのです
物語の中に何度も戻って、角度を変えて眺めます。
これはどういうことなの?
という問いが作者との間に成立しないのが読書で
作者は活字を渡したら最後
読者はそれを受け取って、
謎が謎でもひたすら受け入れて進み続けるしかありません。
「なんで」「どうして」の答えが
帰って来ない世界。
窺うだけが術。
そのかわりに勝手な解釈も許されていて、自由。
勝手な感線に勝手に触れて
勝手なことを思い浮かべて勝手に感銘を受けます。
正しい解釈や正しい道筋を追わず
勝手に空白を窺う感じが好きです。
別に正解はあってもなくてもいいです。
そういう点では、芸術作品を拝見するときと同じ気持ち。
この1Q84には解説本が何冊も出ているようですが
そちらにはあまり興味がありません。
さぁ次は何を読もうかなー
コメント